旧西条藩陣屋跡

旧西条藩陣屋跡

西条市街の中心部、西条市役所の西に水堀があります。堀は敵の侵入を防がなければならない特別な場所であったことを示します。現在、堀で囲まれているのは西条高校なのですが、かつてここには西条藩の陣屋が築かれていました。「旧西条藩陣屋跡」である西条高校へはJR伊予西条駅から歩いて約15分。西条駅前からせとうちバス西条済生会病院前行きに乗れば、6分で西条高校前です。

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バス停西条高校前がある「御殿前通り」から陣屋跡を眺めます。水堀の内外に植えられた木々の緑が視線を遮っているのでコンクリート造の校舎が見えすぎず、陣屋の面影を味わうことができます。御殿前通りから堀を渡る道が延びていて、その正面には歴史を感じさせる門が建っています。西条高校の正門として使われている陣屋跡の大手門です。大手門の両脇には石垣の上に土を盛った腰巻土塁も残っています。

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ここに陣屋を築いたのは、西条藩二代藩主の一柳直重。寛永13年(1636)に伊勢神戸城主の一柳直盛が西条にお国替えとなったのですが、赴任の途中で病没してしまい、直重が後を継ぎ、西条へ。陣屋を築き、城下町を開きました。

一柳氏が西条藩を治めたのは寛文5年(1665)までの30年間でした。寛文10年(1670)に徳川家康の孫である松平頼純が藩主となりました。その後、明治2年(1869)の版籍奉還までの約200年間、十代にわたり松平家3万石の城下町として栄えました。

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大手門を正面に見て左手へ堀の内側を歩いて行くと、門がもう一つあります。現在この門は南東隅に位置していますが、もとは陣屋の北口を固める「北御門」でした。寛政年間に大手門を現在のものに改築する際に、古いものが北御門として設置されました。その後、天保6年(1835)に九代藩主松平頼学がお国入りをする際に現在の開き戸の形に直したと伝えられています。

明治維新後は、裁判所や役所などに移転が繰り返され、昭和40年(1965)からは大手門の北側に設置されていました。現在の場所に移されたのは平成25年(2013)。転々と移されながら風雨に耐えてきたその門は、傷みが激しく朽ち果てるのも時間の問題という状態だったそうです。「残したい」という強い思いの有志によって、かつての姿をよみがえらせる修復が行われ、現在の場所に移されました。

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旧西条藩陣屋跡周辺には城下町の面影が残っています。水堀や緑、堀の噴水などが目に清々しく、しっとりとした風情は心を穏やかにしてくれます。「水の都」と呼ばれる西条の美しさとともに、西条の歴史にも触れることができる場所です。